龍馬 IN KOBE 総集

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龍馬さんへの手紙・一般の部 最優秀作品  みなとこうべからの手紙 大森 尚 

Sat 30 , 15:02:272010/01
龍馬さんへの手紙  一般の部   大森  尚

拝啓 坂本龍馬さま。私はあなたが塾頭をなさっていた海軍操練所のあった神戸で育ちました。神戸ではあなたの縁戚にあたる土居晴夫さんがあなたと海軍操練所時代のことを書かれていてあなたにたいして格別の思いを抱いている人も少なくはありません。その仲間内でもあなたの人気の秘密はどこにあるのかという話になるとはっきりした答えはでていません。維新の英雄だった西郷隆盛とともにその悲劇的な最後にあつたとする意見に落ち着きます。
西郷さんとあなたのお二人はお互いに認め合った間柄で、薩長同盟という破天荒な事業を共にされましたが、その生き様は同じではありません。西郷さんは革命家として権謀術策を弄し維新の大業を成就させましたが、その根底を流れるものが儒学的、農本的であったためか、日本の近代化に逆行する反革命のシンボルとして城山に敗死しました。西郷さんはあなたと同じ大男でありましたが、あなたが北辰一刀流奥義を究めたのに対し西郷さんは剣の道はまったくだめでした。大久保利通が膨大な日記を書き、あなたがあの有名な「船中八策」や数多くの長文の手紙を残し、その考え方がわかるのに、西郷さんの漢詩や語録からは彼が幕府を倒したのち、どんな国のありようを考えていたのか伝わってこないのです。ただ興味があるのは西郷さんも大久保利通も艶めいた話が無いのに桂小五郎木戸孝允)には幾松、あなたには千葉さな、おりようさんがいるように女性にもてていました。西郷さんは薩南健児一万有余人を平気で死地に赴かせたという神に近い人間力がありましたし、あなたも武市半平太を簾磨なく刑殺した山内容堂に何度も脱藩の罪を許されていますし、それが一介の浪士、それも下級武士ならぬ土佐の郷士に過ぎないあなたを徳川家門筆頭の越前藩主松平春嶽がその異才を認めたうえでの斡旋によるものとすれば、幕府の実力者勝海舟との交流を含めて、あなたは西郷さん以上の人証しの名人だったといえます。あなたは「船中八策」で律令政治の基本、天皇の下に大政官を設け、人省を置くほか、上下二院からなる議会政治と、強力な海軍力による国防、それが担保する諸外国との平等な条約のもとでの外交など、今日の「国のかたち」を明隙に打ち出しておられます。 一方長崎のグラバー商会の代理人として武器の輸入をおこなう貿易商社、亀出社中のオーナーでもありました。この足場があつたればこそ薩長同盟が成立したのでしよう。

ところで坂本龍馬さま、あなたが慶応三年十一月十五日、近江屋で暗殺され、三十一歳の生涯を閉じることなくご存命であれば明治維新の形はずいぶん違ったものになっていたと思いますが如何でしょうか。あなたの「船中八策」は後藤象二郎を通じて出内容量を動かし、大政奉還という大事業を成し遂げました。徳川慶喜に政権を投げ出させることによって無血革命は成就し、徳川慶喜を首班とし、大名・公家の上院、諸藩の有識者による下院という構図ができていてもおかしくありません。ところが現実は戊辰戦争という革命戦、西南戦争という反革命戦の二つの内戦を経験しました。大刀より拳銃、拳銃より万国公法を大事にされたあなたは革命戦にはむしろ邪魔な存在になり佐幕派よりは倒幕派に狙われる存在になりつつあったと思えてならないのです。暗殺の危機を乗り越えて無事維新を迎えられたとしたら、あなたはどうなさっていたでしょうか。

これからはまつたく私の想像です。大政奉選により無血革命が成就し、版籍奉還廃藩置県が無事おこなわれ、中央集権による近代国家の骨格ができつつあるなか、西郷さんは鹿児島に隠退し、本戸孝允は内閣顧間で評論家的存在、徳川慶喜上院議長板垣退助の下院議長、政府は三傑実美、岩倉具視を首班とし、大久保利通伊藤博文などによる有司専制の体制がしかれ、それからはみ出したあなたはかって尊壊過激派の浪士たちを蝦夷地に移住させようとした延長線上に、長崎を拠点とし、北海道、樺太に入植させた不平士族による開拓の成果を物流させ、北海油田を開発し、もしかしてアラスカまでも買収して、グローバルな汎太平洋的な商圏を構築する、この話はロシヤの南進を危慎し、士族救済の道を探つていた西郷さんの理解をえてより強固なものとなっていった、こんな想像はどうでしようか。

いま日本の政治は自民党の失政に飽いた国民は民主党政権を選びましたが、鳩出首相、小沢幹事長の政治と金の問題、普天聞移転にからむ基地問題、出日の見えないデフレスパイバルによって失望し、正直政界再編を望んでいます。かってあなたの成し遂げた薩長同盟のようなことができないかを願っていますが、私はあなたの出番としては小さ過ぎると思っています。いまの日本はあなたの時代のような沸点に達する若者のエネルギーはありません。あなたのような突拍子のない若者が育つ土壌ない以上、あなたは歴史上の人物で現代に通じるモデルでないことは確かと申し上げて終わりにします。桜の咲くころ京都、霊山のあなたのお墓参りをしたいと思っています。いまからそれまでの日本の政治の成り行きををご報告いたいので楽しみに待っていてください。  敬具
 
【龍馬返書】
誠に広範な知識と見識溢れるお手紙を頂戴いたしました。私が我が道を模索する上で一番励み学んだ地である神戸よりの手紙とあらば、感激一入です。
ところで、西郷どんに色めいた話がなかったわけではなく、京にてなかなか巨体の贔屓がいたことをお伝えします。また、よかにせどんを数多道ずれにしたような西南戦争が、結局は維新による士族の憤懣のガス抜きになる結果に終わったことは、いろいろ考えさせられます。
それよりも、貴殿ご指摘の、蝦夷が島開拓の一点面白く読ませテ頂きました。私の後、幕府艦隊を率いる榎本武揚君たちが北辰共和国設立を夢見て大いに奮闘してくれましたが、ご指摘のとうり、北海道に止まらず、樺太アリューシャン、アラスカまで視野に入れての開拓をやっておけば、あの悲惨な支那事変・太平洋戦争の悲劇を生まずに済んでいたかも知れませんね。貴重なご指摘有難くお受けいたしました。